百十八日目 久々の訓練にて
僕はついに見れなかったけど、水の駅の話になって、話を聞いているうちに、「水の駅」という題名を僕は水の流れる水道があるところに人々がやって来て去っていくから、水がある駅、水を得られる駅という意味だとおもっていたのだけど、それだけでなく人々も水のようにやって来て流れて行くという意味も含まれているのではないかという深読みを妄想しました。
水の駅に出てくる人物達が難民にしろ何にしろ、ゆく川の流れが絶えないように、我々はどこから来てどこへ行くのか分からずとも先に希望があろうともなかろうとも、遅くてもすすむしかない。
ということなのかなとおもいました。