zimoの俳優修業2

テーマは非日常

百二十一日目 お寺のお施餓鬼にて

お坊さんのお話の中に

 

「相手が自分に心を開いていないとき=相手の中に仏様がいないときは、自分が相手に心を開いていない=自分の中に仏様がいない」ということを言っていました。

 

また芸人のギャグは身内受けで、どれだけ観客を身内にできるかが腕の見せ所だ、ということも聞いたことがあります。

 

それは観客と役者にも言えることだと思いました。俳優が自分に閉じこもっていてはお客さんも壁をつくったままだろうし、身内にはなってくれないだろうとおもいました。

 

そのお坊さんは話もうまく、飽きさせない工夫もしているので、宗教を信じるかどうかは宗教そのものよりも、伝道師の力が強いのだなと思いました。

 

戯曲のもつ素晴らしさ、面白さがどんなに大きくても、それを伝えられるかどうかは俳優次第だということを実感しました。

 

きっとザビエルや空海は役者をやっても成功したのでしょう。